正論のなさが言えるもの



 河村:だから言い切ることが怖くなってきてて。


 塩川:でも言葉にするって大事ですよね。
    存在できるようになるから。
    絵は、ふんわりと全体は明るくなるけど、
    言葉のようにここだけ照らすみたいな強い光はなくって、
    なんかぼやける。
    自由に感じてくださいと言うような投げかけができたり、
    どんな意味に解釈してもらっても良いですみたいなことが
    できるのは絵の良いところだとも思うけど。


 河村:それはいづみちゃんが描いてて感じるの?


 塩川:うん、伝えたいことが具体的にあるときには、
    言葉の強さはあると思ってる。


 河村:うんうん。それは本当にそうだよね。


 塩川:逆に絵は解釈の自由さが強みで
    いろんなものになり得るのかな。
    どんな商品でもそつなくあてはめられたりとか。


 河村:じゃあ絵のタイトルってすごい悩む?


 塩川:うん。タイトルひとつで見えないものも
    見せることもできるけど、
    見方を絞っちゃうこともあるからから迷う。
    先に絵があってあとでタイトルつけることもあって。
    そこが一番面白くて迷うとこ。


 河村:絵を描いたときの気持ちと全然違うタイトルを
    つけることもあったりするのかな?


 塩川:うん。真逆のつけたほうがしっくりきて面白いときもある。
    すごくいいのつけれた時はおー!って。


 河村:あれ、いつも何か足りない、
    えっとなんだっけ?よかったよね。


 塩川:あー。あれちょっと長い。
   「全てを欲しがるからいつも足りない」


 河村:絵を見た後にタイトル見て、わ、いいなって思った。
    絵を見に来てる人たちみんなが
    少しだけ長めに立ち止まっちゃうみたいな。


 塩川:としえさんがFLOWERの中で
    私の絵に短い言葉をつけてくれたのも
    あんな風につけてくれるとまた
    見え方が変わるから面白いと思った。


 河村:あの絵を見てもしかしたら性の二極化って捉える人も
    いるかもしれないって知った時に、
    それでもあの絵と言葉とでなら、
    見てもらえるかもしれない。
    言葉だけだとすぐ正論はどっちだ?みたいになって、
    く〜正論はそちら様です(笑)。みたいになっちゃうけど。


 塩川:正論のなさを言えるっていう感じかも。
    あの絵も顔は描かなかったけど。
    顔描くと、表向きの性別がはっきりしちゃうし。
    あれだと両方どっちとも取れるっていうか。
    体の造形は人間だったら主に2パターンだけど
    内側と外側の性別の組み合わせは色々で
    バラバラで持ってるっていう感じも解釈の幅が広がって
    良いかなみたいな気持ちもあった。
    表情によってもまた違う意味が入ってくるよね。
    笑ってるか泣いてるか、それが自分に向けてなのか、
    外に向けてなのか、
    えーっとなんかうまく言えないけど
    象徴として持ってるのか。
    何が正しいってないときに
    あえて言い切らない言い方が絵だとできるのかな?


 河村:私はそう信じたい。はっきりと言葉にはならないものや
    言い切っていないものに私自身が救われてきたことが
    実際にあった。芸術至上主義とかじゃなく。
    そういう意味でもいづみちゃんに絵を頼んで
    本当によかったなあと思ってたんだよね。




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